昨年より準備を進めていた福島第一原発20キロ圏内ツアーを今年から実行に移しています。
先日もドイツ人3名、日本人1名とともに現地を訪問してきました。
特に外国人にはFUKUSHIMAが持つイメージの悪化は激しく、
それを何とかするためには、
本物のリアルなFUKUSHIMAを見てもらうのが一番なんじゃないか。
それが災害から学びを得るきっかけになり、
原発について考えるきっかけになり、
東北の観光の推進にもつながったりするんだと思っています。
地震・津波・原発、三つの被害を一度に負った唯一の街FUKUSHIMA。
東京駅を出てまず向かったのは浪江町。
帰還困難区域から1年前に解除されたとはいえ、未だ震災の爪痕が色濃く残ります。
街中に設置されているモニタリングポストにゲストも興味津々。
これが沿岸部に行くと一変します。
津波の被害を受け、すべてが流され、流されたものが撤去された状態の沿岸部。
ドカンと小学校がいまだに残っていますが、時計は津波到達時刻でとまっています。
2011年3月11年3時38分。リアル。
堤防に上ると向こうに福島第一原発が見えます。約6キロメートルくらい。
でもここの線量はもう東京と同じくらいまで下がっていました。
訪れるたびに姿を変える被災地。
次くるときにはこの建物もなくなってるかもしれない。
同じ浪江町でも内陸に入っていくとまた違う景色を見られます。
帰還困難区域化においてもそこに住み、殺処分になるはずだった牛をまだ育てている酪農家もいます。
この方のスタンスはとても極端ではありますが、
それもREALなFUKUSHIMAかなと感じました。
そこから国道6号を通り、帰還困難区域を抜け、富岡町へ。
初回のツアーの反省を活かし、現地の方に富岡町はご案内いただきました。
こちらは物凄くきれいになって、地元の人からすると寂しさもある富岡駅。
話していただく内容もよりリアル。
時計屋さんの実家は震災直後に泥棒に入られすべて持っていかれたのだとか。
訪問したタイミングはベストなタイミングでした。
桜の。
富岡町自慢の夜の森の桜も、
今見れるのは3割で、残りはバリケードの向こう(未だ帰還困難区域)なのだとか。
加えて、この桜。
昔は桜のトンネルになっていたようですが、
除染の関係できられてしまって、若干かわいそうな状況に。
ずっと丁寧に手入れをしてきて、100年近く生きてきた木なのに、
帰還困難区域が解除される去年まで管理ができずすっかり弱ってしまった。
そう、悲しそうに話している姿が印象的でした。
帰還困難区域が解除されて1年。
まだ人はあまり戻ってきていないようですが、
この日は車で見に来ている方が来たり帰ったりしていました。
でも新しいアパートが建ち始めていたり、希望の光を感じることができました。
参加した方も、線量の低さに驚いていたり、
被災地の現状に各自思うこともあったようです。
こつこつとでも、
リアルな福島第一原発周辺の様子を見学できるツアーを続けていきます。